サポーター委員のみなさまへ
今回は、多方面で活躍しているベラルーシ人のオーレッグさんにインタビュー
します。オーレッグさんは、来日7年目。現在、東京の商社で働きながら、
日露・日英翻訳を幅広く手がけている他、語学力を生かしてチェルノブイリ
関係のボランティアをされています。
(以下、Qを筆者、Aをオーレッグさん)
Q.こんにちは。あ、また本を読んでいますね。今回は何ですか。
(オーレッグさんは読書家で、いつも文庫本を手にしています)
A.内田康夫のミステリーです。えっと、この表現の違いをしりませんでした。
<気にしてもしょうがない>と<気になってしょうがない>。
Q.いつも、勉強熱心ですね。
A.わからない表現があると、<気になってしょうがない>んですよ。
Q 笑。日本語能力試験1級に合格されていますね。インターネットで勉強したとか。
A.ええ、ネットの電子通信講座のようなものを受けました。すでに働いていたので、
通学は無理かなと。
Q.翻訳の仕事もされているんでしょう?エリック・ヴァン・ラストベーダーのThe Ninjaを
ロシア語にしていますね。大変ではありませんでしたか。
A.当時は正直、ピンとこないものがありましたね。ま、気にしてもしょうがないかな、と。
Q.笑。最初に日本にきたのはいつですか。
A.1990年でした。チェルノブイリの被災地域に住んでいる子供達を日本に招いて草の根
の国際交流をする市民運動があって、その引率で日本にきたのが最初です。着物を着た
人が全然いなかったので、驚きましたよ。
(詳しい活動内容は http://www.kakehashi.or.jp/hoyou.htm をご参照ください)
Q.日本の小学校を訪問したんですよね。どんな印象をもちましたか。
A.たしか、野外活動についての授業を合同で受けたんですが、日本の子供たちはだれも
マッチのつけ方を知らなかったので驚きました。ベラルーシでは、子供はみんな知っている
ことですから。
Q.なるほど。象徴的な話ですね。本格的に日本に暮らし始めたのは、いつですか。
A.1996年だったと思います。国際交流基金のプログラムで日本にきました。
Q.その当時で、日本語はもうまったく問題なかったんですよね。
A.ええまあ。自分でアパート借りたりしていましたから。今の大家さんは日本舞踊の名取りで、
着物を着ていた。笑。間取りより、それが気に入りましたね。でも、この間、お亡くなりになった
んですよ。お葬式のこととかしきたりがよくわからなくて、まいりました。
Q.長く住んでいると、いろんなことがありますね。日本に住んでいて、良いと思った点、よくないと
思う点が何かありましたら、教えてください。
A.良い点はやはり、治安がいいこと。そして、電車が時間通り来ることですね。
良くないことは、うーん、もっと気軽にキャンプとかしたいですね。自然と触れ合うのが難しい。
Q.オーレッグさんがお住まいの江戸川区は、犯罪発生率が日本でナンバーワンだそうですよ。
A.ええ?そうなんですか。まいったな。笑
Q.ま、気にしてもしょうがないかもしれません。笑
ところで、オーレッグさんの日本語への探究心には驚きます。すでに、仕事や生活で支障のない
日本語能力をお持ちなのに、検定試験にトライしたり、いつも読書をかかさない姿勢には頭が下がります。
その原動力は、何なのでしょうか。
A.やはり、日本語の持つ表現の豊かさが魅力なんですね。古来から持つものも美しいし、カタカナ
言葉のフレキシビリティ-を見ても、非常に面白い。この間、本で読んだのですが<面白い>の語源はね。
Q.あの、お時間大丈夫ですか笑。
(オーレッグさんは昼休み中で、この後、会社に戻らなくてはなりませんでした)
A.ああ、そうでした。では、今日はこれで。
Q.また、メールくださいね。
<あとがき>
1986年4月26日、旧ソ連チェルノブイリ原発事故により、ベラルーシ共和国に死の灰の70%が降下しました。
汚染地には今なお200万人が生活し、そのうち14才以下の子どもたちが80万人と言われています。
オーレッグさんは、そうした子ども達を1ヶ月ほど、放射能から疎開させて北海道など空気のいい環境に
移して健康の回復を図る<保養里親運動>をきっかけに、来日しました。
平和のために自分ができることは、何だろう。そんな余韻を残したインタビューになりました。
文責 内田雪絵